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「正義」との運命的出会い [閑話]

「JUSTICE -What’s the right thing to do?-」ハーバード白熱教室の政治哲学者マイケル・サンデル著の第4章「Markets and Morals」は、私が今の仕事に関心を抱いた原点、「市場原理と倫理」、「市場と福祉」、俗っぽくいえば、「お金と人間の幸せ」の問題を、二律背反の問題として皮相的に捉えるのではなく、その先にある、諸人に共通する普遍的な価値をどう構築すればよいかの観点から、痛烈な批判精神で紐解いている。
この原著は、100 Broadway, New Yorkに建つビル内の本屋BORDERSで求めた。領収書の日付は、2010年10月24日。10月28日に起業してから、間もなく、丸7年を迎える4日前である。30年過ごした国際金融分野から、なぜ、異業種の医療分野に縁を得たいと思ったか、その原点を探りたく、自分探しに、私は、地下鉄Wall Streetに降りたっていた。そこで訪ねたビルは、9.11で倒壊したワールドセンターに近いトリニティ教会の真向かいに位置する、元々は、東京銀行のビルであった。1980年1月から10年間過ごしたWall Streetの振り出しの地であった。
今でこそ資本主義至上原理に多くの批判が渦巻き、過度のレバレッジに自滅したリーマンショックでピークを迎えたが、1980年代から90年代にかけてのWall Streetは浮き沈みを繰り返しながらも、自信に満ち溢れていた。特に、1989年ベルリンの壁崩壊は、資本主義の高らかな勝利と看做された。翻って日本といえば、1990年にバブルがはじけ、銀行不良資産処理に不作為の作為が繰り返され、護送船団方式に馴じんだ行政にも業界にも、まして、政治には、迅速に対応する自浄能力は全くなかった。その後遺症は根深く、今日の日本では、適切な競争原理の全否定すらが、あたかも平等な社会実現の前提のような風潮にあり、憂うるべき状況にある。その拠り所に、資本主義至上原理の失敗だけが声高に叫ばれていることは、皮相的批判に過ぎるように思えてならない。

ご恩に報いるために [閑話]

私自身が今日の事業との関わりを持ったのは、米国人が起業したばかりの会社のお手伝いをしたことに遡る。当該会社は、日本の臨床検査会社が、米国の認証機関の認定を受ける際のアドバイス業務の経験を基に、感染管理予防業務をあらたな対象とする事業を目的に、2000年に起業していた。が、事業は軌道にのらず、2003年の倒産にいたる最後の1年間は、株主の意向を反映した取締役会の判断で、米国人に代わり社長職を担うこととなった。しかし、事業の好転を果たすことは出来ず、従業員への給与、経費未払いから労働監督局から喚問を受けたことを始め、国税庁、地方税窓口、社会保険庁に多くの足を運ぶ中、倒産となった。従業員への給与・経費未清算分は、自身の資金をもって精算をしたものの、従業員削減は、今もって自身の未熟さへの忸怩たる念とともに、心の痛みは消えない。そして事業展開に奉仕的精神で支援くださった先生方のご尽力に応えることが出来なかった無念さが残っている。
倒産した会社とはいえ、病院というお客様をいただいており、最低限、約束したサービスの提供を終えずして倒産を理由に現場放棄をすることだけは許すことが出来なかった。そして、2003年10月28日に起業し、お客様への迷惑だけは、最低限にするよう務めた。しかし、サービスに対する対価は倒産した会社が既に受領している一方、顧客サービスのメインテナンスに集中する以外に新規事業展開をはかる余裕はなく、負の遺産が膨らむ一方のスタートは泥沼であった。そのような苦境に、様々な形で、その時々に、支援を惜しまないひとびとに支えられたお陰で、辛うじて8年目に歩みを進めている。これらのご恩に報いるためにも、明確なミッションとビジョンの実現は待ったなしである。

ミッションとビジョンの見直し [閑話]

創業時に掲げていたミッション
「医療の安全と質向上に資する活動を通じて世の中に貢献すること」を、
創業後8年目に入る本日、見直し、また、ビジョンを次のようにする。
ミッション
「エビデンスに基づき、患者安全と医療の質向上の実践に資する活動を通じて
世の中に貢献すること」
ビジョン
「日本の病院群から、患者安全と医療の質向上実践で世界に通じる病院群実現に向けた
ファシリテーターとなる」
「患者安全と医療の質向上実践に資する教育プログラムの提供で、日本の代表となる」

創業の原点に立ち返って [閑話]

Michigan Keystone Center (ミシガン州の州都Lansing)は、ミッションに「患者安全と医療の質向上に資するエビデンスを実践に移し促進すること」を謳い、「ミシガン州の病院が患者安全と医療の質向上実践で国を牽引すること」をビジョンに、2003年3月に産声をあげた。集中治療室(ICU)における中心靜脈カテーテル関連血流感染(CLABSIs)と呼吸器関連肺炎(VAP) 予防をエビデンスに基づき実践し、2004年3月から2010年10月の間に、70病院以上が参加。
        1,830人以上の命を救い
        140,700日にのぼる感染に関わる無駄な在院日数の短縮を図り
        3億ドル(255億円@¥85/US$)の無駄な医療費削減 
を実現した。この間に血流感染率/1000カテーテルライン日は、2.5から0.86に下がった。
 株式会社キューラメディクス(Cura Medicus Inc)は、ミッションに「医療の安全と質向上に資する活動を通じて世の中に貢献すること」を掲げ、2003年10月28日に創業した。30年間親しんだ異業種からの転進の思いには、人の命に、より直結した形で世の中に関わりたいとの強い思いからだった。この思いを、ミッションに掲げたつもりであったが、今見直すと、思いだけが先走り、何も語っていないに等しいことに愕然とする。まして、ビジョンは何も描けぬままの、試行錯誤の7年だった。
 今回、Michigan Keystone Centerおよびその活動に当初から参画しているSparrow Hospital(米国看護協会から優れた病院としてMagnet Hospitalに認定)を訪問し、粒さにその歩みを見聞することが出来た。文字通り、目から鱗の衝撃であった。なけなしの私財は底をつき、株主として、また、貸主として支援してくださる方へ、また、何にも増して、サービスを活用してくださるお客さまへの責任をどのように果たすことができるのか、ぎりぎり追い込まれている私には、神の啓示に近い瞬間であった。
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創業丸7年目を迎えた日に、ミシガンの大地に昇る朝陽が、心底、眩しかった。
                           (2010年10月28日Lansingにて)

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