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東日本巨大地震 APICからのメッセージ [医療安全・質向上]

東日本巨大地震 にあたり APIC(米国感染管理疫学専門家協会:本部ワシントンDC)から、日本のAPIC会員の皆様に、心のこもったメッセージと 現下の状況に関連するreferenceが、下記のとおり、送られています。
 すでにご覧になられた方も多いと思いますが、APIC会員以外のメンバーの方々も、共有できますように転載させていただきます。(転載に関し予め APIC President Olmstedさんにご確認いただいています)
(記)
March 14, 2011
To our Japanese colleagues:
We wanted to let you know that we are thinking of you, your families, friends and the communities you care for, and we offer our thoughts during this time of crisis. We hope that you will contact us and let us know of anything specific we can do to aid in your relief efforts.
In the meantime, here are some resources that may be helpful in your recovery efforts:
Infection Prevention for Alternate Care Sites
CDC Emergency Preparedness and Response: Tsunamis
CDC Emergency Preparedness and Response: Earthquakes
Infection Prevention and Control for Shelters During Disasters
We will continue to hold you in our thoughts and hope that you and your loved ones are safe.
With best regards,
Russell Olmsted, MPH, CIC 2011 APIC President

感染予防対策 CDC-TVの動画など [医療安全・質向上]

向野賢治先生は、博多インフェクションコントロールフォーラム主宰をはじめ、感染予防対策を臨床現場から親しみやすく発信しておられます.。先生のブログに下記のようなご紹介が出ています。
 もう、ご覧になられましたか?日本語字幕を付され親しみやすく編集されています。
http://hica.jp/blog/blog/

                      (記)
 各位

ブログにも載せてますが、CDC-TVの動画などを日本語字幕付にしてYouTubeにアップしています。見てくださ~い
妊婦のインフルエンザワクチン接種のはなし
http://www.youtube.com/watch?v=7RtV-FK5hsY&feature=player_embedded
クロストリジウム・ディフィシル感染症
http://www.youtube.com/watch?v=-Y-FGYmFQO8&NR=1
かぜに抗生剤を使わない
http://www.youtube.com/watch?v=XoiBriNoCto
こうの
                                         以上

ジョン レノン [閑話]

12月8日。ジョン レノンが、セントラルパークに隣接するダコタハウスで凶弾に倒れ、非業の死を迎えてから丸30年。今日も、世界中で彼の魂の叫びは歌い継がれている。
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one



jhon.jpg誰がやっても政治は変わらない、世界は変わらない、戦争はなくならない...厭世観に押し潰されそうな世の中。それでも、様々な課題を放置してはならない。ひとつひとつの小さな課題を、自分の問題として、果敢に取り組まなければならない。その解決に向けた小さな行動の連鎖が、社会を変える潮流になることを信じて、今日も地道な努力を続ける。そんな多くの仲間に、Imagineは、静かな勇気を与え続けてくれる。ありがとう。

雪舞い始めた札幌にて

NPO(非営利法人)vs. 株式会社 [閑話]

「言論NPO」は、工藤 泰志さんが、健全な民主主義に向けた議論作りを行うNPOとして、2001年11月に組織化された。マニフェストを啓蒙段階から積極的に取り上げ、まだまだ、不完全とはいいながら、その定着に大きな役割を果たしている。
その工藤さんは、元々、東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長であった。1990年に日本のバブルが弾け、それ以降、不良債権問題に揺れる日本をテーマとする座談・記事出稿等に参加することからご縁を得、折々、日本を問う議論をしている。2003年10月にキューラメディクスを立ち上げるときには、NPOとするか株式会社とするか呻吟した。そんな折、2004年3月15日 言論NPO は「ニッポンNPOは民の主役になり得るか―民の可能性と役割を再考する-」と題するシンポジウムにパネラーとして参加した。
NPO 言論 top-mainimage.jpg
http://www.genron-npo.net/society/genre/cat300/nponpo.html
キューラメディクスは、ミッションに、「エビデンスをベースとして、医療の質・安全向上を図るためのファシリテーターとして世の中に貢献すること」を掲げている。公共性が高い活動であり、営利を追及する株式会社より、NPOの方が馴染みやすく、一時、NPOで活動することを真剣に考えた。ただ、NPOであれ株式会社であれ、組織維持のために、収益性の確保、ガバナンスは必須である。社会企業家(Social Entrepreneur)は、社会にどれだけ強い効果を与えたかを軸に活動している。関心を抱く所以である。

女・おんな・をんな-地唄でつづる女の一生 [閑話]

初等科の1年先輩に地唄舞の世界で活躍される花田蓉子さんがおられる。
11月2日に、「第四十回記念 出雲蓉の会」を国立劇場で催された。1968年(昭和43年)に第一回神崎蓉の会を主催されてから四十余年。この四十回の記念すべき会にあたり、全身全霊をこめ、一期一会の舞台を心がけるとプログラムに記されていた。1968年といえば、ソ連がチェコスロバキアに武力侵攻した、世に言う「プラハの春の終焉」の年。それから、半世紀近く、会を継続され舞い続けられることがどれだけ尊いことか。舞に生きることに心血を注がれる情熱が、当日の「女・おんな・をんな」に見事に結実していた。女の一生をテーマに託された演出に、「女・おんな・をんな」の情念が、見事に凝縮されていた。
女 おんな ヲンナ.JPG

http://www.jiuta-maimu.jp/index.html
年を重ねられるほどに、花田さんの静かに舞われる姿勢に、静かであればあるほど、深く秘めた情念が、時として殺気を帯び、時として、昇華された諦観に似た感情として醸しだされ、いつしか、舞いの世界に引き込まれていた。今から、10年後、20年後の舞いは、どのように進化されていかれるのだろう。ひとつの道を究めんとされる生き方への共感を余韻に、会場を後にした。

クリスマスツリー [閑話]

m_mikimoto.JPGクリスマスを告げる、銀座ミキモト    
本店前のクリスマスツリーです。
今年で33回目!群馬県嬬恋村から
大型トレーラーで根付きで運ばれた、
高さ約10メートル、樹齢約30~40年
の大きなモミの木は見ごたえあります。


茶道(4) [茶道]

帰国後は、自由が丘にて故佐方宗礼先生、入江宗敬先生のご指導を仰いでいる。佐方先生は、海外でのお茶の普及活動にも積極的に参加され、ワシントンの桜祭りで、先に触れたNY裏千家の山田先生と出会われた。この出会いが、めぐり巡って、今、ご指導いただくご縁へと紡がれている。入江先生がトルコへお茶紹介の旅をされる際、東西を繋ぐ都市イスタンブールを羽織、袴で歩く貴重な体験のさせていただいた。
 1995年に長野県蓼科の山小屋に茶室を設えた。庵の名を、「松風」と命名。2006年には、NY裏千家の山田先生をお正客にお迎えした。竹馬の友で小料理やを営む友情出演で懐石料理を準備し、お茶会を開いた。素晴らしい客組みで、宴は夜更けまで続いた。そんな集いも、いよいよお開きと名残を惜しんでいるとき、思いもかけず、山田先生から、中川宗渕老師筆の掛け軸を頂戴した。

    松 老いて 寧ろ 長閑(のどか)なり

松風と銘打った茶室に、ふさわしい軸と大切にしている。
茶室が完成してから、早や十五年。いろいろな仲間をお招きし、季節折々の風情を楽しんでいる。お茶会にと、花入れや、茶碗の焼き物を供してくださる仲間がおられる。年々腕をあげられ、先週、8月7日に催した朝茶事にあたり、花瓶を贈ってくださった。野辺に自生する朝顔を生け、茶筅で朝露に見立てて水を掃くと、早朝の高原の冷気漂う集いを、見事に引き立ててくれた。
  茶道4-1.JPG  茶道4-2.JPG  茶道4-3.JPG  
また、同じく仲間には、葉山のお寺さんに嫁した方がおられる。そのお庭には、毎年、立派な竹が生え揃う。折々、根っこから切らせていただき、数年乾燥させて、竹の花入れや、蓋置きの素材にと頂いている。
茶道4-4.JPG
茶室 「松風」は、標高1350mに位置する。実社会での自らの思いの実現は、牛歩の歩みながら、次の心境に一歩でも近づけるようにと、地道な精進、努力を重ねていきたいと、日々誓っている。

    ゆくみちは 瀧なす汗を 流せとも
              のぼりて涼し 松風の音
                          (清香院)

  平成二十二年八月盛夏

茶道(3) [茶道]

ニューヨークに勤務した頃(1980~1989)、マンハッタンにある裏千家道場を週末には訪ねた。お茶室は京都から派遣された棟梁により立てられていた。茶室は、不思議な空間だった。そこはマンハッタンの喧騒と人種のるつぼのど真ん中にありながら、世俗からは隔絶された世界だった。紅葉たけなわの季節には郊外にお茶仲間とドライブし、湖畔沿いにて、野点のお茶を楽しんだ。マンハッタンから北上したキャッツキル山中にある大菩薩禅堂金剛寺では、「茶と禅」が主催され、裏千家ニューヨークの山田先生ほかGlen宗清先生方等が参加された。座禅後の講話には、この禅寺建立に力を注がれた中川宗渕老師が、三島龍沢寺から馳せておられた。洒脱な人柄と英語・日本語を織り交ぜた語り口は、集った米国人を中心とする異国の人々を魅了しておられた。湖畔に座禅される姿そのものが、温かな圧倒的な存在だった。1984年に他界され、その分骨式が湖畔で行われた際には合掌に伺った。その日は、米国独立記念日。マンハッタン・ブルックリンブリッジにて行われた花火大会を観るために摩天楼に引き返し、夜空に繰り広げられる天体ショーにご冥福をお祈りした。
茶道3.jpeg


茶道(2) [茶道]

最初の職場のお茶室は、休憩室を兼ねた和室で、女子ロッカー室の後ろに位置していた。構造上、和室に入らんとすれば、戸外からノックをし入ることを請い、一端和室に入れば、きぬ擦れの音に雑念を振り払わねばならぬ環境であった。当然のことながら、茶の道の教えを請わんとするその動機を、不純なりと、揶揄する向きも少なからずあった。四十年を超えた今日、少々、胸を張って、不純な動機だけではなく、お茶の魅力への予感を誠実に追い求めていたことを、折々の思い出に絡めながら綴る。
 オランダへトレーニーとして勤務(1973~1975)していたある日、最初の職場でのお茶の恩師が、ロッテルダムに立ち寄られた。宿泊先のホテルにご挨拶にうかがうと、ロビーのソファーに、着物姿でちょこんと正座をして出迎えてくださった。日本から持参した茶箱(点前道具一式を仕込んだ携帯用の箱)で一服差し上げたいと申し出たところ、先生のお部屋に通していただいた。二人でダブルベッドの上に正座し、ボーイにお湯を運ばせ、揺れるベッド上でお茶を差し上げた。心から喜んでくださった笑顔が忘れられない。帰国のご挨拶にお伺いした際には、不治の病の床に臥され、お話をされることは、最早叶わなかった。そんな中、ロッテルダムの一服を喫茶した思い出を懐かしく語り合った。弱った体を何とか起こされんとするお姿は、あの異国で交わした一服が至福の瞬時であったことを全身で表現されておられるようで、胸が熱くなることを禁じえなかった。

茶道(1) [茶道]

昭和四十五年、初めて実社会に出た職場で、茶道を始めた。縁あって軽い気持ちで始めたお茶の道だが、あれから、四十年の歳月が流れた。今では、東京は神谷町にある光明寺というお寺さんで、月に二回、職業、世代を超えたお仲間とのお茶のお稽古を共にし、学ぶ機会を楽しんでいる。
 http://www.komyo.net/web/kamiyacho.html 
今日は、八月十五日。終戦記念日。猛暑がぶり返してきた。お茶の世界では、この猛暑・酷暑は、冬への備えに欠かすことのできない大切な時節となっている。炉から、燃え尽きた炭に汚れた炉灰をあげ、樽に移す。水を注ぎ、何度も灰汁抜きをし、水も澄んできたところで、炉灰を炎天下、ござに広げる。そこに番茶や丁子の煮出し汁をかけ、色づけをしては、手で灰を揉みほぐし、天日干しをし、乾いたら、また、煮出し汁をかけ、日長この作業を繰り返す。陽も西にようやくかたぶく頃、灰を篩いにかけ、甕に仕舞い、冬の到来を静かに待つ。
 厳寒の二月、茶室には、蝋燭の灯のもと、夜長、客達が集う。炉には、赤々と炭が熾り、掛けられた釜は松籟の音を奏でる。香を聞きながら、集った客達は、五感を研ぎ澄ませ、これから催される一座建立に静かな期待を寄せる。ホスト役の亭主は、釜を外し、新たに炭をくべ、甕から出した灰を、手際よく灰に撒き添える。その瞬間、客人たちは、あの猛暑の中、この日のために準備を重ねた亭主の思いに心を重ね、懇ろに、「ご丹精を込められた見事な灰ですね」と労いの言葉をかける。その一言には、万感の思いが込められ、それ以上の言葉は不要だ。

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