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神田神保町・小川町・淡路町界隈 1) [茶道]

  我が家の本棚には、色あせた独和辞典が使われることなく蟄居している。表紙を開くと、1963年神田神保町三省堂本店で友人Kと求むと記されている。折しも、東京オリンピックの前年、高校生活が始まった時のこと。それから半世紀余の歳月がながれた今、縁あって、仕事場が神田小川町。古本屋街はもとより、ビルに挟まれて昭和から息づいているお店が目に留まる。三省堂と背中合わせに「御菓子処ささま」がある。
御菓子処 ささま noren02.gif

  主菓子は、季節折々にご主人の心の籠った趣向が凝らされている。水無月に入り、水羊羹、あじさい、青梅や麦秋もある。今の季節、四国や九州に出かけると車窓からは、麦が頭を垂れて黄金色に色づいている。麦秋とはこれなのかと実感できる。
ささま mizuyoukan.jpgささま ajisai.jpgささま aoume.jpgささま 麦秋 bakushuu.jpg
  

「木洩れ日の家で」 岩波ホールにて [閑話]

P5140016.JPG           モノクロームの美しい映像に描かれる
           婦人のひとり生きる姿――――。
           若き日の甘美な思い出、息子との葛藤 
           そしてしのびよる人生最後の時。
           名女優による卓越した演技とともに贈る、
           現代ポーランド映画の傑作!

 こんな気になるポスターに惹かれて、衝動的に神田神保町の岩波ホールで、久しぶりに映画を観ました。入ってびっくりしたのが満席なこと。加えて、恐らく、その9割以上が団塊世代ないしはそれより多少齢を重ねられているご婦人ばかりであったこと。そのような雰囲気に圧倒されて、前方座席まで歩む勇気なく、最後列に近い場所に席を定めました。
 流れる音楽とモノクロの画面は、ワルシャワ郊外の古びた木造邸宅を映し出し、91歳の主人公アニェラに、愛犬フィラデルフィア(Irish setterでしょうか)が加わり、主人公演じる女優ダスク・シャフラルスカに勝とも劣らぬ名演技を繰り広げておりました。女優シャフラルスカは、実年齢95歳。背筋をしゃきっと伸ばし、時に独り言を、時に社会や人におもねることなく、辛辣に主義主張をはっきり言い切る凛とした姿勢が、演技のための演技ではなく、ご本人の100年に近い年輪と見事にマッチしており、気がつけば観るものの気持ちを虜にしているようでした。余談ながら、この女優の名前は、我々団塊の世代にとっては、東京オリンピック女子体操で金メダルを総なめにした美貌の持ち主チャスラフスカと重なり、親しみを覚える名前でした。思えば、3年後2014年は、あの東京オリンピックから数えて丸50年。何ともう半世紀も経つのだなと、計算している自分がいることに気づきました。
 クライマックスシーンでは思いもよらぬ形で息子に裏切られる主人公アニェラは、それに屈することなく、大胆な発想と行動力で息子の謀り事を妨げ成就させず、母として、女として、最後まで自身の生き方を貫き通す芯の強さ、そして緑深い旧邸の古びたベランダでフィラに看取られながら、静かに最後を迎える生き方、その平和な満ち足りた表情には、静かな共感と感動が広がっているように感じられました。誇り高く尊厳をもって毅然と生涯を全うすることとは...。余韻の残る、素晴らしい映画でした。世の男性諸氏も必見。

根津美術館 かきつばた屏風と初風炉 [茶道]

表参道から徒歩5分。風薫る5月に相応しい好天の1日を過ごしました。
1年半ぶりの訪問でした。前回は、2009年10月17日。2006年から3年半にわたり改装のため休館されていましたが、再開館の記念行事が行なわれているときでした。その記念行事の一環としてドナルド・キーンの講演を聞く機会がありました。
根津美術館の素晴らしいのは、その庭園。初代根津嘉一郎の旧邸であった園内には、池を取り囲むように、4つの茶席(弘仁亭、斑鳩庵、閑中庵、一樹庵)が設えられ、四季折々のお茶の集いを演出できるように見受けられました。
 美術館内では、国宝「燕子花図屏風」(尾形光琳)が展示されていましたが、庭園に出ると、折りしも水辺には、対をなすように、燕子花が見事に咲き誇っていました。
かきつばた.JPG

秋の紅葉、雪舞う日のたたずまい、移り行く季節を静かに演出する幽山渓谷のたたずまいに、いつしか心が和み、都心にいることを忘れさせてくれました。
 館内のもう一つの楽しみは、嘉一郎がお茶会で実際に使ったお茶道具が2階の茶室に展示されていること。今回は、初風炉のしつらえ。青葉の候が、清々しく演出されていました。
 嘉一郎が、この地で初めての茶会(初陣の茶会)を催したのが59歳のとき。昭和15年1月4日81歳で没する直前の、昭和14年12月23日の歳暮の茶会まで、生涯を通じて晩年は、お茶の集いを催したと茶会年表に記されていました。
 根津美術館のもう一つのお薦めは、緑のなかで余韻を愉しめるカフェNEZACAFE、機会があれば、是非、一度お試しを。

与謝野 馨 「社会保障と税の一体改革」 (5.12日本外国特派員協会講演から) [閑話]

与謝野氏は、社会保障と税の一体改革を掲げて1月に経済相に就任しましたが、3.11東日本大震災でその動きは、実質上棚上げされている印象でしたので、どのような発言をするのか注目が集まりました。折しも政府は、同日、社会保障と税の一体改革に関する集中討議を開き、厚労省案が提示されました。経済相は、6月末の成案を目標に集中論議に入り、成案を得たところで自身の任務は終わることを強調していました。果たして、高所得者の年金給付制限導入による給付抑制策をどうするのか、ゴールである消費税引上げへの工程をどう実現するのか、リーダーシップを欠いたねじれ国会で、本件は混迷を極めていくであろうことは容易に想像されるところです。このような、ねじれ状況を選択した国民の一人であることに思いをいたすとき、複雑な感情が交錯することを禁じ得ませんでした。
経済相は、「自身は72歳となったが、周りの友人をみても元気に働いている。日本人の平均寿命90歳時代を考えると、年金受給開始年齢を65歳より引き上げることが、働く世代の過重な負担を軽くする上で有効」との趣旨の発言をしていました。少子高齢化の進行や経済成長の鈍化で世代間の給付と負担のアンバランスが深刻化する中で、団塊世代(1947~1949)の1948年生まれの私にとって、これは将に当事者問題。圧倒的な数を誇る我ら団塊世代がどう身を処すかは大きな影響力のあるところ。予てから70歳位までは自身で働き社会保険料も収めることが、次世代へのささやかな責任ある行動と考えている私にとって共感するところ大でした。
更に経済相は、東日本大震災に関連して、2011年度の経済成長率は「震災前に比べて1ポイントほどの低下が見込まれる」「復興財源に関しては、増税に7割の人が賛成している。日本の財政に対する信任の維持がこれまで以上に重要」として、財源確保には増税が必要との認識を示していました。確かに財政規律を重んじ信任を取り付けるための財政再建努力を断行せず、問題先送りの繰り返しでは、市場がいつ牙をむいてもおかしくないことに強い危機感を有する者の一人として、これまた、共感するところでした。
日本が抱える問題は、
1)政治がポピュリズムに堕し、財政構造の硬直化、赤字幅拡大、巨大な累積債務(GDPのほぼ200%)という異常な状況を眼前にしながら財政再建の工程表を示すことが出来ないこと
2)我国の人口動態から、生産年齢人口が現象する時代にすでに突入し、日本の社会保障費は毎年急速に増え続け、国民の生存権の根幹を揺らぎかねない状況なのに、この対処への国民的合意生成が図られていないことです。
日本の少子高齢化問題は、遅かれ早かれ、どの先進国にも共通する課題であり、日本国民がどう処していくのか世界が注視しているところです。そんな中、今回の東日本大震災に被災された方々が、極限状況に置かれながらも、互いを思い助け合い、人として徳のすばらしさを示す振る舞いに、世界は心からの敬意と感動をもって賞賛していました。歳を重ねた人々が穏やかに暮らせる、思いやりある社会の実現を望む世界のひとびとが大きな勇気を貰ったからではないでしょうか。
多くのひとびとが語っているように、今まで必死に追い求めてきた物質的豊かさから、こころの豊かさを取り戻すことの大切さを、今回の未曾有の災害は問いかけているように思えてなりません。社会保障改革を断行する上でも、あらためてその重みにこころいたすことが求められていると思います。

社会保障制度改革に関連して、米国の医療制度改革のある取り組みを紹介しました。エビデンスに基づくプロセス管理を徹底し医療の質向上を図り、最も大切な人の命を救うことを実践しながら、大幅な医療費の削減を実現しようとしているお話しです。ご参照ください。Newsletter(Feb 18 2011)
https://www16.jcity.co.jp/TWAS_CMS/Upload/cura/cura_sMainBodyImg_20110317082202.pdf

日本赤十字社 社長 近衛 忠輝氏 講演会より(日本外国特派員協会にて) [閑話]

本日、日本外国特派員協会 http://www.fccj.or.jp/aboutus で、日本赤十字社社長・国際赤十字・赤新月社連盟会長 近衛 忠輝氏の講演を聞く機会がありました。
今回の東日本大震災と日本赤十字社、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)の活動に関する総
括がなされました。記者からのQ&Aセッションでは、「“義援金”は、本日現在で内外から1740億円にも達していること。その寄付は、一刻でも被災された方のお役に立ちたいとの思いが込められたものと認識している中で、その配分を迅速性と公平性を両立させながら行うことに腐心していること」等、話題になっていました。
近衛氏は、今回の福島原発に関連する質問にふれ、「放射線へのexposureを対象としたemergency preparednessに関する国際的な協力体制は構築されておらず(nuclear power reactorに関する技術的な対応、あるいは原発テロ対策については始まっているが)、二度の原爆と原子力発電所事故という両方を経験した国として、相応の対応国際間で行っていくことを提言していきたい」との抱負を語っていました。その中で、「福島原発に関しても、その地域の風向きを含む平時の放射線量を定点観測する体制を敷いていなかった。従って、hazard mapのベースがなく、今回のような事故が起こってから放射線量を測り始めても、それを有効に活かす体制が出来ていないことが明らかとなり、いかに、平時からの対応をしておくことが大切かをあらためて痛感している」との発言もありました。
 このポイントを感染予防対策の観点に読み替えても、日本の現状に、当たっている部分もあるように思えてなりませんでした。確かに、ここ10年ほどで、感染予防対策の認定専門家制度の導入、サーベイランス活動の広がり等、制度面での改善は目を見張るものがあり、内外の差は大きく縮小していますが、医療関連感染が発生することによる追加的な医療資源の投入量や 医療関連感染のリスクファクターに関する研究、国民医療費への影響等、国家レベルのhazard mapの準備がどれだけ出来ているのか、そんな思いに駆られた講演会でもありました。

東日本大震災を前に、一体、何が出来る? [閑話]

東日本大震災から、丁度2ヶ月を迎えます。
この未曾有の震災を前に、個人として何が出来るのか、その無力さに心が萎えることを隠せない日々でした。2ヶ月経った今、どう、個人として関わっていくべきか、改めて自問自答してみました。仕事のご縁で医療関係の方々と接する機会が増えています。今回の大震災発生直後からDMAT(緊急災害支援)として、全国各地から被災現場に駆けつけ、不眠不休の現場と連携し、救急救命活動に立ち上がられ、さらに息の長い活動を継続されている医療人の姿には、ただただ、頭がさがります。
 国民のひとりとして、どうこの大震災に向き合うことが出来るのか、安全に安心して暮らせる社会の実現に、医療現場でのリスクマネージメントの視点でのお手伝いを、自らの非力を省みず継続させていただくことを考えています。医療・看護・介護は、国民が安全に安心して生活する上で、極めて重要なインフラ部門です。
 リスクをマネージするためには、対処すべきリスクを平時からデータ化し、どのようなコストをかけ、どこまで安全を担保するのか、そのトレードオフを開示する必要があります。医療現場は、安全な機能をどこまで提供できているのか、質向上に向けた風土をどのように醸成しているのか、国民に開かれた情報を、もっと積極的に発信されるべきだと思っています。
 福島原子炉事故では、情報開示のあり方に内外から批判が集中しています。しかし、これは、今回に特異なこととは思えません。日本は、1990年バブル崩壊後の金融危機が世界を揺るがした際にも、不良債権の実態把握に迅速な対応を出来ず、不作為の作為が事態を一層深刻化させ国の活力を損ねたことは記憶に新しいところです。リスクをマネージする上で、その実態を定量化・定性化することの重要性を問うている点では同根です。
 医療現場は、この轍を踏む事無く、少子高齢化社会を支えるインフラとして、医療の安全、安心の観点での透明性を高め国民の付託に応えることが期待されています。そのお手伝いの一翼を担えるよう、患者およびその家族の視点から継続的な努力をすることこそが、自らの課題と、改めて誓っています。

5月5日は「こどもの日」と何の日でしょう? [医療安全・質向上]

WHO(World Health Organization:世界保健機関)のPatient Safety /Save Lives Clean Your Hands の世界キャンペーン記念日。今年が3回目。
WHO.jpg
Geneva時間14:30(London時間13:30 日本時間22:30)から、手指衛生の世界的権威の一人Professor Pittet が、Claire Kilpatrick (London School of Economic)司会の下、1時間に亘り講演を行ないました。その様子は、世界に同時配信されました。
http://www.webbertraining.com
69枚のスライドを通じ、1)WHOのSAVE LIVES:Clean Hands (命を救おう:手指衛生キャンペーン)の背景説明 2)WHOのグローバル手指衛生促進努力の成果概要、3)5月5日の手指衛生世界キャンペーン記念日に合わせた世界各地の手指衛生活動
事例の紹介を中心に、熱く語りかけていました。
WHOの手指衛生キャンペーンには、2011年5月4日現在153カ国から13,226の医療機関、約760万人医療従事者(330満床)が参加しているとのこと。そして、日々の活動の重要性を強調しつつ、
・ 世界の各国それぞれから、最低1つの医療機関の参加を募ろう
・ まだ参加していない国々に参加を呼びかける具体的計画を実行しよう
・ 地域から国へ、日々の努力、年月をかけて、ひとつでも多くの参加施設を増やす運動にしよう とこの運動を諺に託しながら、力強く呼びかけていました
Great oaks from little acorns grow (かしの大樹も小さきどんぐりより育つ)
今年2月に開催された第26回日本環境感染学会において、Professor Pitettは、WHOの手指衛生運動に日本からの積極的参加協力を呼びかけておられたことも記憶に新しいところです。
 WHOでは、Hand Hygiene Self-Assessment Frameworkを提唱し、各医療施設においてWHOのフォーム活用による自己評価を推奨しています。Professor Pittetは講演の中でも、この自己評価に参加している世界各国26の医療施設に、自己評価の使い勝手についてアンケートを実施しその結果報告も行っています。それによりますと、21施設(81%)は2時間以内に報告書は完成でき活用し易い内容との評価をしたとのことです。この自己評価表は、次のURLからダウンロードできます。
http://www.who.int/gpsc/country_work/hhsa_framework_October_2010.pdf
WHO手指衛生ガイドラインの翻訳に尽力された市川高夫先生(新潟県立六日町病院麻酔科)によりますと、日本からは現在12施設が参加しているとの情報です。
(参考)Professor Pittetが世界の手指衛生促進運動に使用されているDVD
http://www.youtube.com/watch?v=0at_jtzJCDM 
(参考)”My 5 Moments for Hand Hygiene” approach (今回の講演でも紹介)
http://www.who.int/gpsc/5may/background/5moments/en/index.html
(注)Professor Didier Pittet, Director,Infection Control Programme, University of Geneva
Hospital and Faculty of Medicine. External Programme Lead, WHO First Global Patient Safety Challenge:Clean care is Safer Care

東日本大震災 被災地での医療人の活躍から ~福島 安義先生~ [閑話]

仕事でご縁をいただいている病院の数多くの方々が、11日14時46分に起こった未曾有の災害の報を受け、いち早く緊急医療チームを組織して現地に入っておられます。そのお一人、函館共愛会病院院長 福島安義先生は、徳洲会グループ(国内に66の医療施設を有しその病床数は、private sectorで世界第三位)などで作る災害派遣医療のNPO法人TMATの副理事長として、宮城県気仙沼市にて被災地の医療を行なっておられます。その模様は3月20日のNHK特集番組でも紹介され、27日の函館新聞には、「過酷な状況下、懸命に診療」と題し、被災現場の現状と課題とともに詳しく報じられています。日頃から医療のあり方を熱く語られる福島先生の思いは、被災に遭われた方々の胸に響き、さぞ大きな支えとなっていることと頭が下がります。 
関連記事:http://www.hakodateshinbun.co.jp/topics/topic_2011_3_27.html

CDC (米国疾病予防管理センタ-)福島原発事故に関連した米国内放射性物質増加に関するコメント発表 [閑話]

CDC COCA(Clinician Outreach and Communication Activity)CDC Emergency Communication Systemに、標題に関連する情報を一元的且つタイムリーに提供する体制の一環として発表している。(正確には、下記原文関連URLをご参照ください)
福島原発事故の結果として、EPA(米国環境保全局)等が設置している高感度の放射性物質検査装置から、米国内の空気中ならびに雨から極めて微量な放射性物質を感知した。放射性物質は、空気中を浮遊し運ばれることは知られており、これらのレベルは福島原子炉の損傷状況から予想されていたものであった。しかし、これらの数値は、米国民の健康に懸念をもたらすレベルより遥かに低いものであり、放射線物質による被爆から甲状腺保護するための ヨウ化カリウム摂取とかペットボトルの水使用に変更することを要するような状況には全くないことを伝えている。
と同時に、米国内に設置されている放射性物質検査装置を地図上に示し、監視体制を強化し遅滞なく関連情報を国民に開示していることを強調しつつ、正確な情報の共有に国民の理解を呼びかけている。http://www.epa.gov/japan2011/
世界の英知を集め一刻も早い事態の掌握が進むことを、国境を越えてすべとの人々が注視している。

米国東部時間3月27日午後12時30分発表。(日本時間28日午前2時30分)

Keystone Project [医療安全・質向上]

昨年10月28日に、ミシガン州Lansingから、創業の原点に立ち返ってブログを書き始めました。その際のテーマでありました、Keystone Projectを、ニューズレターにまとめました。ご覧いただけると幸いです。
http://curamedicus.com/TWAS_CMS/Upload/cura/cura_sMainBodyImg_20110317082202.pdf
キューラメディクスは、APIC(米国感染管理疫学専門家協会:米国ワシントンDCに本部をおく世界最大の感染と疫学の専門家協会)の専門家メンバーと、日本の医療関連施設における感染予防対策の第三者評価活動を行なっています。
そのAPICは、2006年1月にAPIC Vision 2012を発表しました。そこで、『予防可能な感染を起こしてはならない』『感染症を1件でも発生させれば多い』と認識する文化を医療施設で起こそうとの変革提言をしました。
感染率を抑制することは、複雑であり決して容易なことではありません。当時、医療施設は、関連感染症の発生率が、CDC(米国疾病管理予防センター)のNHSN(全米医療安全ネットワーク。旧NIHS米国国立衛生研究所)が発表するベンチマークより、低率に抑制できていれば“良し”とする傾向にありました。今日、日本の病院でサーベイランスを行なっている進んだ施設でも、圧倒的に多くが同様な意識にあるのではないでしょうか。
『 Targeting Zero Healthcare Associated Infections 』~医療関連感染をゼロに~ を哲学に、高い志を掲げたAPICの感染率をゼロにする動きは、決して平坦な道程でありませんが、その努力が結実し、劇的に感染率を低減させるようになると、徐々にその輪が広がり始めました。『予防可能な感染症を発症させてはならない』との哲学に反する手技が見られた場合には、直ぐ、その場で改めさせること、その事象を皆で共有し話し合うこと、決してそれは処罰を目的とするものではなく、患者の安全に資することを目的とされる運動です。
エビデンスに基づく徹底したプロセス管理、その上で、チームワークで優れた感染予防の結果を導きだしたKeystone Projectは、将に、Targeting Zeroの実践者として注目されます。

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